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新選組の史実。結成から隊名由来・応募資格・主要メンバーや組織編成・隊服などを解説しています。

新選組あれこれ 第1号

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2004年の大河ドラマ新選組!」で私はどっぷりと新選組にはまりました。

当ブログでは新選組の史実、結成から隊名由来・応募資格・主要メンバーや組織編成・隊服、愛刀などを紹介していきます。よろしくお願いいたします。

 

新選組はなぜ結成されたのか

新選組とは何か」をひと言でいえば、幕末の京都で治安維持、反幕府活動の取り締まりにあたった警察組織です。また反幕府勢力が武力蜂起をすれば、幕府方の一部隊として戦う武装集団でもありました。隊には腕利きの剣士が多く、史上最強の剣客集団ともいわれます。

 

策士への反発から生まれた「壬生浪士組

まず新選組誕生の経緯から紹介しましょう。池田屋事件が起きる前年の文久3年(1863)、江戸から14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)が孝明(こうめい)天皇に拝謁(はいえつ)するため上洛(じょうらく、京都に上ること)することになります。当時の京都には全国から反幕府勢力が集まっており、将軍といえども身の安全はおぼつかない状況でした。

 

そこで幕府は、将軍の隊列を警護する、腕に覚えのある浪士を江戸で募集。230余名が応募し、浪士組として将軍に先立って2月に京都に上ります。ところが中心人物であった清河八郎(きよかわはちろう)は、幕府の呼びかけで集めた浪士たちを密かに反幕府活動に転じる策を抱いており、それを朝廷に認めさせました。清河は浪士組に、すぐに関東に戻るよう号令しますが、これに反発した人々が京都に残ります。それが近藤勇を中心とするグループと、水戸藩出身の芹沢鴨(せりざわかも)を中心とするグループの計17名でした。

 

近藤らは幕府の京都守護職(京都の治安維持や二条城・御所の警備を担当。従来の京都所司代町奉行所を傘下に置く)を務めていた会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)の承認を得て、3月12日に会津藩お預かり(非正規雇用)という身分になり、宿所が京都壬生(みぶ)村であることから、「壬生浪士組」と称しました。これが新選組の前身です。

 

本日は以上です。

 

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