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池田屋事件半年前の組織編制
新選組は刻々と編制を変え、機動力のある組織を追求しました。たとえば池田屋事件の半年前にあたる文久3年12月下旬に、新選組が会津藩に提出した編制は、以下の通りです。
副長助勤(ふくちょうじょきん) 一番 沖田総司(おきたそうじ)、二番 永倉新八(ながくらしんぱち)、三番 井上源三郎(いのうえげんざぶろう)、四番 藤堂平助(とうどうへいすけ)、五番 斎藤一(さいとうはじめ)、六番 原田左之助(はらださのすけ)、七番 安藤早太郎(あんどうはやたろう)、八番 松原忠司(まつばらちゅうじ)
一番から八番までの組(小隊)があり、各組は5人の編制で、幹部の副長助勤が各組を率います。さらに副長の山南と土方が、4組ずつ統率するかたちでした。つまり総勢で50数名を数えることになります。なおトップを局長と称するのは、新選組はあくまで会津藩の一部局であるという考え方によるものでした。
本日は以上です。
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